「あれでよかったのかな」たずねる私に、夫はやさしくうなずいた。 こころでおくる。
こころのおもてなし 事前相談キャンペーン
こころのおもてなし 事前相談キャンペーン

キャンペーン期間
2018年11月1日(木)
~2019年2月28日(木)

ご来館いただいた皆さまに
イズモ葬祭が、
こころからのおもてなしを
させていただきます。

事前相談をされた方全員に喪主の手引書プレゼント 多くの人は不安を抱えて、ご葬儀に臨まれます。もしもの時のイメージや流れをつかんでおくことで、安心できる手引書です。使い方のご説明もいたします。
さらにキャンペーン期間中にご来館し、ご応募いただくと林家木久扇爆笑落語会に抽選でペア200組400名様を無料ご招待! 開催日 2019年4月16日(火) 会場 イズモ葬祭 名古屋貴賓館 開演時間 1部 11:00  2部 14:00 林家木久扇 (はやしやきくおう)テレビ番組「笑点」のレギュラー出演など、お茶の間にも大人気の落語家。喉頭がんを克服した過去を持ち、80歳を超えた今も「生涯現役」を掲げ、アート、ラーメン、歌、役者と多方面で大活躍中。
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さらにキャンペーン期間中にご来館し、ご応募いただくと林家木久扇爆笑落語会に抽選でペア200組400名様を無料ご招待! 開催日 2019年4月16日(火) 会場 イズモ葬祭 名古屋貴賓館 開演時間 1部 11:00  2部 14:00 林家木久扇 (はやしやきくおう)テレビ番組「笑点」のレギュラー出演など、お茶の間にも大人気の落語家。喉頭がんを克服した過去を持ち、80歳を超えた今も「生涯現役」を掲げ、アート、ラーメン、歌、役者と多方面で大活躍中。

中日新聞夕刊で掲載中の林家木久扇のコラムをWebでもご覧いただけます。
「よく笑う人は、人生の達人」をテーマに、人生について明るく楽しく綴っています。

林家木久扇コラム
「よく笑う人は、人生の達人」第1回 
2018年11月2日(金)掲載

笑って生きるための意識
落語家 林家木久扇

笑って生きることをモットーとする、
林家木久扇氏の死生観とは?

 笑って生きるための意識は、まず私の中では、昭和20年3月10日の東京大空襲からの体験から始まります。
 私は小学1年生。生家は日本橋久松町の雑貨卸商を営んでおり、私は3人兄妹の長男でしたから、父は手元に置いておきたかったのでしょう、学童疎開に加わっていなかったから都心にいました。
 久松小学校の校長先生が、やはり疎開に加わらなかった学童の、小学1年生から6年生までを同じクラスに集めて勉強させていました。
 戦況が悪くなり、毎晩のようにアメリカのB29爆撃機が編隊でやってきては、雨あられと爆弾を落とし、非戦闘員の都心の家やビルが焼かれ、大勢の人が亡くなりました。
 実家が焼けた3月10日は、3回目の東京大空襲で、行李2つの薬箱を預かっていた警防団団長の父は、テント村から小学校の正門の脇、防火用水に飛び込んで一夜を明かしました。何もかも焼けて失ったが、私の一家は無事でした。
 この時、私の中で死生観が生まれました。
 あんなに幸せだった家も、家族の心も、恐怖心で毎晩ズタズタだ。でも、助かった。命が救われた、もうけものだ!
 私が笑うのは、そして一生懸命落語をしゃべって大勢のお客さんに笑ってもらえるのは、東京大空襲の時の、小学1年生の感性に生かされています。命をもらった!というありがたさがあります。
 がんに2回、腸閉塞、肋膜炎と大きな病にかかっても私は笑っていました。
 本当は小学生の時、失った命。生きているなら世の中に恩返しを!といつも…。

林家木久扇コラム
「よく笑う人は、人生の達人」第2回 
2018年12月7日(金)掲載

落語が救った命
落語家 林家木久扇

落語家林家木久扇が出会った、
人生の不思議なめぐり合わせ。

 平成13年10月、古今亭志ん朝師匠の葬儀があり、私は帰途池袋から地下鉄に乗っていました。
 空いている車内で、私の隣に席を移してきた初老の紳士が話しかけてきました。
「失礼ですが…木久蔵さんですよね?」
「はい、木久蔵です」
「いやぁ、こういう処でお会いできるとは、実は貴方は私の命の恩人なんです…」
「はぁ?」
「神楽坂でギャラリーを経営していましてね。バブルがはじけて絵が売れなくなり。経済的に苦しくなり、借金もたまり、もう駄目だ、いっそのこと死んでしまおうと考えながら車を運転していました。夕方でしたか、ラジオから木久蔵さんの落語が流れてきて、それが面白くて路肩に車を停めて聞いていたんですよ」
「私、どんな噺をしていました?」
「ふるえる声の師匠の噺でした。師匠!餅にはどうしてカビが生えてくるんですか?…バカヤロー、早く食わねえからだ!ってね。もうおかしくってばかばかしくって、あぁ私と同じ年ごろの落語家さんがこんな馬鹿な噺をラジオで真剣にしゃべっている。そうだ、死ぬのなんか止めちまおうってね、思いましたねぇ」
「〝彦六伝〞だったんですね、それ」
「はあはあその落語でした。いやぁ私は助かりました」。その人は深々とお辞儀をして御茶の水で降りていきました。
 世の中は深いなぁ、志ん朝師匠を送った日に、私の落語で命拾いをした人に出会うとは。何というめぐり合わせなのでしょう。それにしても落語の笑いの力はスゴイと思いました。人の命を救ったのですから!

林家木久扇コラム
「よく笑う人は、人生の達人」第3回 
2019年1月11日(金)掲載

林家彦六の人生始末
落語家 林家木久扇

落語家林家木久扇が驚いた、
師匠林家彦六の人生の幕引き。

 私の師匠、林家彦六が亡くなったのは、昭和57年1月。86歳の生涯でした。
 師匠がいつ申告していたのか、目はアイバンクに寄付されており、遺体は白菊会という団体を通じ献体されていたため、一夜病院の安置室で遺体を前に関係者一同がお別れを告げただけでした。
 生前に師匠は「死者は生者を忙しくさせるな」と言っていたから、その答えがこのことなんだろうかと私なりに驚いていました。
 2年後に彦六師匠の遺骨が遺族の元に戻ってきました。偲ぶ会を開き、その折、亡き師匠は国から表彰されました。師匠の意志から始まったことが世間へ知らされたことで、解剖で実習する医学生の機会が不足していたところ、献体が増え医学界に大いに貢献したということでした。
 私の弟弟子の八光亭春輔が「アニさん(木久蔵)も、もらったんですよねえ…」と後になって私に言うから「何を?」と問うと、「林家彦六師匠は、葬儀費用に想定したお金を、弟子たちに分けて暮らし向きの足しにするようにって1人30万円ずつとご長女に遺言されていたんだそうです…」。
 私はそんなことを遺族の方から聞いていなかったし、10人もいる弟子の中で、「どうして私が外されたんだろう?30万円は大金だ!」とばかりに、ご長女のところへ電話をしました。
 「あのう、私はまだもらっていませんが…」
「あら、悪かったわねぇ。父の遺言でね、木久蔵さんと正楽さん(初代林家正楽)は売れているから、金はいいってそう言っていたのよ。伝わっていなかったかしら、ごめんね」と笑っていらしたんです。
 しかし亡くなった落語家の師匠が、弟子を思いお金を配るなど聞いたことがない。

林家木久扇コラム
「よく笑う人は、人生の達人」第4回 
2019年2月8日(金)掲載予定